周りの気づきは一歩遅い。

今流行っている曲がだいたい1.2年前に流行っていた曲であるように、人の努力というものも大抵は努力し終わって完全燃焼した後に評価されることが多い。

 

そう思ったのは、自分の実体験やアイドルを見た時だ。

 

①私の実体験
僕は現在、ある学生団体のリーダーをしているのだが元々リーダーなどをする性格ではない。

それでもなぜリーダーをしているのか?

 

それは自分が「リーダーになる」という勇気を振り絞る決断をしたから。しかし、リーダーに立候補したときの演説の時の質問で人格を否定されるようなことを言われる。

 

去年も仕事もろくに出来なかっただろ?なのにこんなに大口叩くなよ。


これは大袈裟だけど、僕からしたら言われたことはこんな感じなのだ。だってトラウマになったくらいだから。

 

ここで、その批判に心が折れなかったのは、「自分の成長」を明確に自覚していたからだ。
組織の良いシステムは上手く取り入れ、そこに挑戦として自分の色を足す。そうして、自分はリーダーとして《自分の色》というものを探求し始めた。

 

②アイドルを見て気づく。
自分がそんな経験をした中、アイドルのある人に共通点を見出すことになる。それは元乃木坂46生駒里奈さん。

 

乃木坂46がデビューした当初からプレッシャーや責任感の一番多いセンターというポジションを経験。一応キャプテンという存在もいるのだが、センターというのはテレビや雑誌でも「乃木坂46の顔」として取り上げられるわけで、批判の的は全てそっちに飛んでくる。

 

僕もリーダーとして立候補するのにとてつもない勇気を引き出さなければなりませんでした。

 

3.40人の前で演説。誰が聞いたって怖いに決まってる。でも、生駒里奈さんがテレビで楽曲のセンターを務めているように、僕は平然とリーダーらしいキリッとした顔で皆の前に立たないといけない。

 

だが、生駒里奈さんは乃木坂46を卒業してから沢山の人に勇気を与え続けている。

 

私は「#8月31日の夜に」というテレビ番組が好きなのだが、そこで生駒里奈さんは自身がいじめられていた経験やセンターで批判を沢山受けていた時の経験を活かし、同じような境遇の学生の子達に勇気を与え続けている。

 

結局何が言いたいのかというと、人間というのは自分が優位な立場に立っている時は人をこれでもかと批判し、その後すぐに手のひら返しをして「優しい人なんだね」なんていう心もない言葉をかける。

 

残酷な生き物なんだ。人間というものは。