分からないを分かる勇気
「自分が何者か分からない」
「自分には何もできない」
「勉強しているけど理解出来ない」
若い人達は、こういった問題に悩む。そして、大人達も分かったふりをしているが、単に忘れただけである。大人は「学生」に変わる「肩書き」というものを手に入れたに過ぎない。
なぜ学生の間に「自分とは何か?」という壁に深く閉ざされるのだろうか?
ぼくは、「学校」が1つの原因だと考える。学校では「理解した」ということが、評価の大きな分かれ目となる。
何が得意で何が不得意か。
何が理解できて何が理解出来ないか。
そんなことばかり気にしないといけない環境の中で、学生が悩むのは当たり前のことではないだろうか。「分かる」が美徳とされる世の中では、「分からない」人は冷たい視線を受ける。
「分かる」はそんなにかっこいいことだろうか?
こんなことを考えて欲しい。
「分かる」ということは、「分からない」という物事を相反して同時に存在"させている"のだ。"作り出している"と言った方が正しいだろうか。
「分かる」と口に出した瞬間、あなたは「分かる」「分からない」という、物事の2面のうち片方の面に立つことになる。
このことが危険性を孕んでいることを、あなたは感じ取れるだろうか?
物事が2面性を持ってしまうと、必ず相手側が"敵"であると認識してしまう。
「大人と子供」
「男性と女性」
「正義と悪」
挙げていくとキリが無い。それほど2面性を持つ言葉の組み合わせは、世の中に無数に存在するのだ。
「分かる」という言葉が存在すれば「分からない」という言葉が存在するように、一方の言葉が存在すれば、もう一方の言葉も必ず存在する。
もし、これを読んでいる人の中で
「学校に行きたくない」「自分が何者か分からない」「自分には何も出来ない」「死にたい」
と思ってる人がいれば、次にいう言葉を胸に留めておいて欲しい。
「分からない」ことを、分かる方が勇気がいる
あなたの周りにには、あなたの気持ちが分かったかのように「辛かったね…」「辛いのはあなただけじゃないよ」などという言葉を浴びせる人"も"いるかもしれない(もちろん優しい人もいます)
しかし、「分からない」に気づいているあなたの方がよっぽど強い。
周りの大人は「分かったつもり」なだけだ。
「分かる」に"逃げて"いるのだ。
逃げて強がっているだけの人達だ。
最後に、「分からない」ことに気付く為の秘策をあなたに伝授しよう!それは……
問い=「対話」すること
である。
「コミュニケーションが上手くなる!」的な本は沢山読んできたが1冊も役に立たなかった。そして、自分が経験して気付いたことがこれだった。
相手の想いを引き出す質問力を身につける
そして、自分の想いを引き出してくれる相手を見つけることが大切だ。100人友達がいた所で、質問力を引き出してくれる友達がいないのなら、関わり方の意識を変えるべきだ。
ここまで読んでくれて、ありがとう😊