直接的な場所

あなたは、人に対して「これは駄目だ!」と相手を説得させる時に、どのようなアプローチをかけるだろう。

 

直接的な言葉だろうか?

間接的な言葉だろうか?

 

これらは、どちらが良いアプローチと言えるのだろうか?

 

例えば"いじめ"。学校では、一応"形状"のいじめ対策をしている。

「ある学校でこんないじめがあったんだぞ。見てて辛いだろ?」「これはNHKのビデオで、こんな有名人もいじめにあってて、発信してるんだぞ?」「じゃあお前らいじめなんか止めろ?」

 

ざっとこんな感じではないだろうか。大学の教職のいじめの授業でも、NHKのビデオを見せられただけだった。

 

有名人が発信しているのは悪いことじゃないし、とっても勇気を貰えることだ。しかし、それを"直接的に見せる"人は、どういう意図を持っているのだろう。これを見て"辛いと感じろ"そう言われてるようにしか見えない。

 

これを真似ろというのか?ここから何を考えさせたいんだ?そう考えざるを得なかった。

 

先生が正しいことを言っているのは分かる。分かるけど、なんとなくスっと受け入れられない。

 

僕が学校のシステムに対してモヤモヤするのもこのせいなのだろうか。

 

そもそもほとんどの先生が

国語は国語の能力を上げるため、数学は数学の能力を上げるため、理科は理科の能力を上げるため、いじめの授業はいじめ防止の対策のため

と、一方向での考えしか持ててないのではないだろうか。

 

それは先生が悪いのではない。学校が"そういうシステムの場所"なのだ。自然と先生はそのシステムに馴染むような人間になってしまう。

 

そういう意味で、学校とは「直接的な場所」なのだ。

 

横断的なカリキュラム云々の前に、学校とは「直接的なシステムで成り立つ場所」であり、そこから横断的にしろと言ったところで(学習指導要領で書かれていたところで)誰に"伝わる"のだろう。

 

本当に伝えたいことを直接的な言葉ではなく、どう間接的に伝えるか。

 

僕はここを大事にして過ごしていきたい。