大切なのは「誰から教わるか」
「肩書き」
この社会で生きていく上で最も必要とされていて、かつ最も世の中に必要のないものだろう。
肩書きも資格も、ほんとうは必要ない。
だが他人から評価される上で、自分をアピールする上で、自分を短い言葉で表現出来るということはすごく便利なものである。
だから世の中の人は自分の財産を切り崩して、時間を殺してでもその「肩書き」を手にしようとする。そして肩書きを手に入れた後には、自慢げのようにそれを見せびらかす。
もちろん、それを参考に寄って来てくれる人が一定数いるのも事実だろう。
だが私たちは、本当は"肩書きのない世界"に足を踏み込むべきではないか?
大人、子供、総理、教師、外国人、日本人。
こういった1つ1つの言葉は、あまりに簡単であり、あまりにも私たちの偏ったイメージを植え付ける。悪質な「レッテル貼り」だ。
昔では考えられないような量の情報が飛び交う現在の中で、テレビのコメンテーターやメディアは「だから○○という職業は〜!!」などという言葉を多様する。
メディアを通して世の中を見る我々は、そんな「レッテル貼り」の悪い影響を、知らず知らずのうちに浴びてしまったのだろう。
本当に大切なことは、そんな偏ったレッテル貼りから世界を見通すことではない。
人間は、男は、女は、子供は、大人は、、、
そんな「レッテル貼り」の悪魔にとらわれず、自分の持てる力で、その人の持つ考えや感性をありのままに聴いていくことが、人間同士が深く通じ合う上で大切な要素なんだろう。
そう。猫のように気ままに。
猫にだって出来るのに、なぜ人間にはできないのだ?
やれやれ。