良い質問は熟成される。

つまらない学校の授業。つまらない、興味もない人間の自慢話。

 

大学生になって振り返ってみると、学校は僕にとって何も有益なことを教えてくれる場所ではなかった。僕は、「小説」から様々な物事を学んだのだが、それはまた別の機会に語ることにする。

 

そんなつまらない、記憶にもない学校の授業の中で、3年間経っても鮮明に、授業の内容や、授業でされた質問を覚えている、というそういう授業があった。

 

記憶に残る…だけではない。

 

僕は、その先生の授業がきっかけで、現在在学している大学の学部に進むことになった(ちなみにその先生は化学の先生である。いつも白衣を身にまとっており、僕はその姿にとても魅了されていた)

 

そう。高校3年生の時に、その先生の授業を受けて、僕は大学3年生。つまり3年も経っている。それは紛れもない事実なのだが、この記事を書いているこの瞬間も、その先生が授業で僕にした質問を、鮮明に言葉として繰り返すことができる。

 

あなたには、そういう授業があるだろうか。

 

その先生がどんな授業をしていたのか、僕の覚えている限りのことを記述しよう。

 

その先生は、とにかく「質問」を多用している人だった。答えをすぐに言わないのがお決まりで、習っていない範囲だとしても、容赦なく質問を飛ばす。

 

「〜くん。どう?」みたいな感じで。

 

予習をしないとその質問に答えられないから、必死に予習をした。よく学校や塾は、何の根拠もなしに「復讐をしろ」だの、「予習をしろ」だの、無理やり言ってくるが、そんな"強制的"なものではない。

 

予習をすることを、自然に求めている自分がいる。

 

その先生の質問に答えることができるようにしたい。その一心だけだ。その先生の1つの質問に対する答えに、生徒はただならぬ努力をする。

 


「質問を飛ばしているだけじゃないか」

 

そう思うだろうか?
これは、決して学校の授業だけに言える話ではない。それがあなたに分かるだろうか。

 

あなたが、人と会話しているとき、一番その相手に興味を持ち、尊敬を持っていることを表すものは「質問」そのものなのだ。自分のことをベラベラと話すのでもない。ただ聴くだけでもない。

 

だが、ただ聴くこともできない人がいるのだから、聴ける人は充分すごい。でも、そこから「自分らしさ」を出すには、「質問」が大きな"鍵"となるということを、損は無いので、知って置いてほしい。

 

"良い質問は、熟成される"


僕が今回皆さんに伝えたいことはこういうことだ。良い質問は、その人の中でずっと残っていく、すなわち、熟成していくのだ。

その先生にされた質問はずっと残る。そのことが、試験の際にとっても役立ったことを覚えている。

 

ヨーロッパの教育でも、対話というものがとっても重要になっている。別に、取り入れろ、と言ってるわけではない。それは、形が既に合わないと分かっているジグソーパズルの空白に、無理やりピースを当てはめるようなものだからだ。

 

〜が必要だ!と、よく本に書かれてある言葉で説明する人がいるが、それはしっかり自分の中で熟成されて出た言葉なのであろうか?

 

悪意のない"正義"が、一番役に立たない。

 

自分のことをどう話すか、ではなく、相手にどんな質問を飛ばすか。これからそういったことをみんなで考えていこうじゃないか。

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