バイキンマンは悪か?
子供の時に見て思うことと、大人の時に見て思うことでは、何が違うのか。
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❶こどものころ
あなたは、子供の頃『アンパンマン』をどう見ていたか1度考えて見て欲しい。
「バイキンマンは悪だ!バイキンマンになるな!いじめは悪いことだ!アンパンマンみたいにみんなに優しくしよう!」
たぶんこんなところではないだろうか
私たちが子供の頃は、単純な「正義」と「悪」という判断でアンパンマンを観ていた。
「アンパンマン」は「正義のヒーロー」で、
「バイキンマン」は「悲劇の"悪"役」だ。
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❷大人になった時
大人になると、単純な「正義と悪」の判断の問いではなく、「バイキンマンは悪なのか??」という問いかけが新たに入ってくる。
「バイキンマンはアンパンマンをいじめているから悪に決まってるやろ!!」
そういう考え方もあるだろう。否定しない。だが、次のように考えてみよう。
「バイキンマン」はみんなの心の中の"悪"
バイキンマンは人間全員の心の中に居る存在だとも考えることができる。
「自分の心には"悪"がいない!」と言う人。
そうだろうか?
どれだけボランティアをしていたり優しいという人でも、動物や植物を殺して食べるだろう。
もちろん目に見えなければ良いということでない。私たちは歩いているだけでも「早く歩いてくれねぇかな…」「この人うるさいなぁ」などと心の中でその人のことを"殺して"いるのだ。
こう考えると、バイキンマンは、周りの人が溜め込んだ「悪」を具現化し、肩代わりした存在
、と言うことができる。
あなたの周りには、「バイキンマン」はいないだろうか?会社の中でみんなのストレスのはけ口にされている人。教室の中で物静かだからといって無視されてる人。
私たちがいるこっち側が「正義」で、あの人がいるあっち側が「悪」。こっちとあっちは別世界。このように、人間はすぐに物事を2つに分けたがるのだ。「今の若者は…」「大人は信じられない」などと良く言うくせに、自分はそこに含めようとしない。大学生は特に都合のいいもので、都合が悪い時は「大人」「子供」のどちらの言葉も利用して歯向かってくる。
今までのことを考えると「バイキンマン」は単純に「悪」だとして切り離せない存在だと理解できるだろう。切り離したら、結局誰かがその「悪」を倒さなければいけない。死刑囚を裁判によって死刑と判断し、みんなの見えないところで刑罰を下すように。まさにその時の裁判官が「アンパンマン」だとも言えるかもしれない。
そして、もう1つ思い出して欲しい。バイキンマンがアニメの中ではあまり落ち込まず、ずっと笑顔で存在している。"笑っている"のだ。無理して笑ってるとは言わない。そんなのは、バイキンマンに聞いてみないと、真実など分からないからだ。
学校や会社での「いじめ」がまさに、この話に準ずる。「いじめはダメだ!」と言うのは「いじめる者は悪だ!」と言っていることと同じで、ここまで読んできて下さった方なら、この発言は全くの「自己中心的発言」と分かるだろう。
どう"悪"と共存していくかが、人間にとっての永遠の課題なのではないでしょうか?イザナギとイザナミが出逢ってこの世界を作った時から、この現代までに突きつけられている命題なのです。
あなたならこの命題、どう解きますか?